死について

 クロスFMで、リスナーからの相談で、シビアーな内容のメールがとどきました。85歳のおじいちゃんが血を吐いて倒れ、余命半年を告げられました。手術をしても成功の確率は20%以下だそうです。家族で本人にそのことを告げるべきかどうか迷っているという、お孫さんからの相談だった。すぐには、答えることができずにいましたが、次回の収録で答えることにしました。
 私の答えは、明確で、ノーです。ご本人には、絶対に言いません。言われた方も、なんとなく自分の死期は察していると思います。でも、家族や医者からそのことを告げられて、正常でいられる人間がどれくらいいるでしょうか。気休めとわかってはいても、周囲の人からは治るよと言ってもらいたいのです。死は必ず来るのです、それが早まるのか、少しのびるのかの違いで、いつかは人は死ぬのだという事実を本人も家族も認めなければなりません。
 かといって、死ぬのだから何もしなくて良いというわけではありません。死ぬ間際に、できるだけの手はつくしたいものです。できることは全部して、それでも免れない死を迎えるのです。死んでゆくご本人は死後、別の世界へ行くのですが、残された人たちに、死の直前のことが記憶として残ります。あの時、もう少しこうすれば良かったとなどといった、多少の後悔をすることもあるでしょうが、自分なりに精一杯やったという気持ちがないと、その死を認めがたくなります。
 身近な人の死は、当然悲しいことですが、その事実は変えようがありません。身近な人の死の前に、その人に自分ができるだけのことをすることでしか、その死を素直に認める方法はないのではないでしょうか。つまり、死とは、周囲の人のみが認識することであり、その重さも周囲の人だけが自覚するものなのですね。
 本当は、このような内容のことをラジオで告げたいのですが、話が長くなりますので、癌を治す方法は手術だけではなく、笑って癌を治す方法が一番新しい癌治療なのでと言うことにします。死の間際に、自分の死を心から悲しんでくれる人に包まれて、笑って静かに死を迎えたいものです。死期は神様のみが知ることで、今日生かされていることを毎日自覚し、今日を精一杯活きて、周囲の人がいつ死んでも、悔いのない人付き合いをしなければならないと思います。

この絵は、葛飾北斎七福神です。
Music&Hidetoで紹介した、浜田省吾の片思いです。